鼓 隊  〜よくもまぁ、こんな大変なものを〜

 幼児の世界に何でこんな大変なものを、いつ誰が持ち込んだのだろうか。
私がこの世界に足を踏み入れた頃には、すでに導入されてしまっていた。しかも以前にあった6領域の一つとしてのリズム教育だそうな。解らない、鼓隊というのはマーチです。マーチというと行進です。出てくるリズムはというと、1.2.1.2.の2拍子だけですよ。それでリズム教育ですか??。○○でお茶でも沸かそうかと思いたくなる。しかもその練習となると、運動会の1ヶ月前からが追い込みです。炎天下の園庭で・・・・・。指導をなさる先生にいたっては、もう真っ黒に日焼けして・・・・・・(笑)。
でも現実、鼓隊をやっている園が多数あります。鼓隊をやるための衣装なども揃え、目抜き通りをパレードしたりして、なかなか派手なものです。担当の先生はそれはもう大変!!。 演奏の仕方を教え、歩き方を教え、ドリルのフォーマットを考え、それをまた教える。
わが子・わが孫の晴れ姿を見ようと、早朝から特等席を確保しての一大イベントです。当然にして、この園の知名度は上昇し、次の年度の園児獲得につながります。園長は大喜び、両親・祖父母・親戚までも大喜び。四方八方良いこと尽くめです。で、終わったあと子ども達はグッタリ。担当の先生の顔にシミだけが残った(笑)。もうこんなものはいらない、と思いたくなる。
じゃーどうすれば・・・・・。

レコード鼓隊 〜鼓隊の種類
 鼓隊といってもいろいろあります。幼児の世界で行われている鼓隊は、概ね次の3種類。
1.打楽器(太鼓)だけを使用し、ドラムマーチ(太鼓だけで演奏する曲−メロディはありませ
  ん)を演奏するスタイルのもの。
2.「鍵盤ハーモニカ鼓隊」と呼ばれているもので、太鼓が叩くリズムに合わせて鍵盤ハーモニ
  カがメロディを演奏するスタイル。最近ではこれにマーチング・キーボードやマーチング・シ
  ロォンなども加えられております。
3.「レコード鼓隊」と呼ばれているもので、打楽器だけを使用し、CDの音にあわせて太鼓を
  叩くスタイル。(「CD鼓隊」という場合もある)
という3種類があります。それぞれに特徴があり、またそれぞれに長所と短所があります。1と2は、すべての音を子ども達が演奏することです。私が心配するところは、1と2において大太鼓担当の子ども、もしくは他の比較的音の大きな楽器を担当する子どものテンポがずれた時です。目もあてられません。指導者は慌てて、入る穴を探し回らねばなりません(笑)。3はCDに合わすやり方ですから、いわばカラオケ・スタイルなので、非常に軽薄なほどの安易なやり方です。でもそのCDからは、基準となる「テンポ」が示されることになります。ただしそのCDの音が、鼓隊にまけない位の音量がでる再生装置が必要になることは、言うまでもありません。
レコード鼓隊の欠点は、パレードが難しいということ。目抜き通りを行進してゆくのに、音響装置が一緒に行動することが難しいからです。園庭などのあらかじめ想定した範囲に音響装置を設置することになります。
私どもの研究結果では、子ども達にとって一番負担が軽いのは「レコード鼓隊」だということです。

テンポ感とリズム感−その1−
 最近の子ども達は、確かにリズム感がよくなってきました。嬉しいことです。
 でもここで少し考えてみましょう。音楽には「リズム」という言葉と「テンポ」という言葉がありま
 す。リズム感は大切ですが、同様にテンポ感を切り離すこともできません。キッチリとしたテン
 ポがあってはじめて、リズムが構成されるのです。だからテンポ感覚を身につけながら、リズ
 ム教育を推進しなくてはなりません。早いテンポが良い、遅いテンポがダメと言うのではありま
 せん。速さを決めたら、その速さを維持するということです。「一定の速さを維持する感覚」、そ
 れが「テンポ感」です。この速度を維持するということが、案外できないのです。子ども達だけ
 ではありません。指導者である大人のみなさんにとっても、結構難しいものです。ちょっとした
 感情で変わるものだからです。楽しければテンポは速くなるし、憂鬱ならばテンポは遅くなる、
 動揺すれば揺らぐ(狂う)ことになる。まさに感情と直結しているのです。それをコントロールす
 るのですから、至難のワザですね。でもそれをしなければ、リズム感を育成することはできま
 せん。テンポとリズムは共存・共栄しているからです。切ることができないのです。
 そのテンポがはっきり、感覚として現れる行動が「歩く」ということ。すなわち行進なのです。人
 間2本の足で歩くようになってから、現在までずっとやってきたリズムが2拍子なのです。
 その人間の基本リズムを音楽の世界に持ち込んだのが、マーチだった。
  現在ではほとんど目にしなくなってしまった“お手て〜つないで〜小路をゆけば〜”と歌いな
 がら何人かと歩く風景。歌いながら歩くから、何人かのテンポが自ずから合ってくるし、そのテ
 ンポがキープされる。手を繋いでるから、自然にどちらかの子に他方が合わすという、アンサン
 ブルに外ならない。しかもこの“お手て〜”は、子どもが歩くに丁度良いテンポなのです。早か
 らず、遅からず・・・・・。実に良く考えられた指導方法と言えます。

テンポ感とリズム感−その2−
   
〜ピアノの鉄人〜リトミックの落とし穴

 リズム教育を推進するのに「リトミック」なども取り入れると、なおその効果が大きく現れると思
 います。 リトミックは非常にすばらしい論理をともなったリズム教育です。
 が、実際にこれをやろうとすると、結構大変です。
 こんな光景を目にしました。とっても楽しそうに体を動かしていた子ども達が数分後、いかにも
 嫌そうな表情に変貌してしまった。何で・・・・・?。
 教室の隅のアップライト・ピアノに向かって、必死に指を動かす先生の姿。子ども達に対して有
 り余る愛情の現われ=感動!と思いきや、よく観察するとその先生、泡を喰ってただけだった。
 壁(アップライト)に向かって必死です。子ども達の表情を見ることができない、ピアノから出
 る音は 間違う、リズムは生きてない、テンポは狂う。4大必須条件、すべて完璧に揃ってしま
 った。気の毒としか言いようがない。つまりあの先生は、子ども達の表情を観察しようとして、
 子ども達の方に視線を変えたその瞬間に、ピアノの鍵盤でミスタッチ(音を間違えた)してし
 まった。そのことで心が動揺しテンポが狂いはじめ、そのことでさらに動揺して・・・・・その後
 は・・・・・気の毒。
 リトミックはピアノの達人じゃないと出来ません。だから最近、よくお見かけするのは、リトミック
 を指導する人とピアノを弾く人を別々に2人の先生でやっているところです。それも一つの方法
 だと思います。しかしなにもそんなに無理をしなくても良いと思うンです。子ども達が喜びそうな
 CDの音楽を流して、それに合わせて体を動かすことも、やりようによっては、リトミックになる
 わけですから・・・・。その意味において、「リズムあそび」や「グラウンドアーツ」などもリズム
 教育の一端をになっているといえます。テンポが狂うよりも、その方がより良いのでは・・・・と思
 います。テンポの狂ったリトミックは、リズム教育の意味において逆効果になってしまいます。
 しかしこの意見は、あくまでリズムとテンポに関連しての意見です。リトミックの持っている「表
 現」の部分においては別の見解になりますので、真意を誤解なさらないでいただきたい。
 まぁ、それにしてもやはり、リトミックはピアノの達人じゃないと出来ません。もしピアノの達人
 だったら・・・・園の先生を辞めてピアニストになりまぁ〜す(笑)。「ピアノの鉄人」はその辺に
 ゴロゴロしてないのです。


「ハンドサイン」
 レコード鼓隊の演奏を指導するのに、ハンドサインという方法で指導するようにしていますが、
 この「ハンドサイン」という指導方法は実に面白い。
 もちろん、このハンドサインをやるには多少の訓練は必要です。子どもに対する訓練ではなく、
 指導者自身の訓練です。やってみれば解りますが、自分の手(腕)って案外に動かないもの
 です。でも少し訓練すれば、誰にでも出来ます。両手をゆるやかに広げて、上から下(腰の辺
 りまで)に振り下ろす。極意はこれだけです。要するに「手旗信号」ですよ。子ども達には楽譜
 を見せないで、ただ指導者の「手」だけをじっと見つめる。耳はCDの音に集中する。
 指導者はひたすらハンドサインをやる訳です。3分前後の曲の間だけは、子ども達と真っ正面
 に向かい合って、先生は子ども達に「もっと強く!。ここは弱く!。」などと心に思いながら、ひ
 たすら手を振りつづけ、束の間もじっとしていない子ども達が、先生の手を必死で見つめて無
 心で太鼓を叩く。そのようになることによって、「集中力」「協調性」「共有」「信頼」などのすべ
 てがこの中に網羅されていることになります。鼓隊というもの、それを「やらせ」と執るか「教
 育」と執るかは、そのやりようによって変わってしまうのではないでしょうか。
 「ハンドサイン」という方法によって自分の腕1本(実際には2本)で、子ども達の太鼓を思うが
 ままにコントロールができるようになると、なかなか気持ちのいいものですよ。そしてそこに言
 葉を使わなくても、先生と子ども達の間で心のコミュニケーションが生まれるようになったら、
 もう最高!! です。
                                    (記=本多敏良)